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解説!ウォーターラインシリーズ

軍艦模型の写真を並べた画像

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作品展示室

戦艦 大和

太平洋戦争開戦直後の昭和16年12月に就役。連合艦隊旗艦となった。超弩級戦艦としてあまりにも有名な艦である。昭和20年4月、東シナ海で約400機の敵艦載機の攻撃を受けて沈没した。

戦艦 武蔵

大和型戦艦の二番艦として建造された戦艦武蔵。昭和19年には大和に続いて対空兵装強化のための改造工事を行っているが、キットでは竣工当時の姿を再現している。レイテ沖海戦にてシブヤン海で敵艦載機の攻撃を受け沈没した。

戦艦 長門

太平洋戦争開戦時は連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が搭乗していた。大正9年11月25日に竣工、太平洋戦争を生き抜いた後、米軍に接収され核実験の実験台となって沈没する。

陸奥右舷前方より

戦艦 陸奥

大正7年6月1日に横須賀海軍工廠で起工、同9年5月31日に進水した。長門型戦艦の2番艦であり、長門とともに連合艦隊旗艦を務めた。第二次ソロモン海戦に参加したが、米軍と交戦することは無かった。その後、昭和18年6月8日に、原因不明の爆発事故を起こし、柱島沖で沈没した。

扶桑右舷前方より

戦艦 扶桑

大正4年11月8日、呉海軍工廠で竣工。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。様々な問題を抱えた艦であるが、伊勢型戦艦の基になっている。レイテ沖海戦では米軍駆逐艦隊の魚雷を受け、その後大爆発を起こし沈没した。

航空戦艦伊勢右舷前方より

航空戦艦 伊勢

戦艦伊勢は、扶桑型戦艦の弱点を補って建造された艦である。航空機搭載艦の必要性増大から、同型艦の日向とともに航空戦艦へと改装された。しかし、航空機製造の遅れから艦載機を積むことが出来ないまま実戦に参加し、それでも輝かしい戦果を挙げている。

金剛右舷前方より

戦艦 金剛

戦艦金剛は技術輸入の目的で設計・建造を英国に依頼した艦である。金剛は30ノットを超える高速性能を持ち、高速戦艦とも呼ばれている。金剛型戦艦は主に空母機動部隊の随伴艦として活躍した。

空母赤城右舷前方より

空母 赤城

赤城は大正14年4月に航空母艦として進水した。赤城は日本海軍ばかりでなく世界でも初めてとなる3万トンを超える大型空母である。大戦中は第一航空戦隊の旗艦となり、真珠湾攻撃やセイロン沖海戦など太平洋戦争前期の戦いにおいて華々しい活躍をするものの、その後のミッドウェー海戦で米艦載機の攻撃を受け被弾・沈没する。

加賀右舷前方より

空母 加賀

竣工当初は排煙の問題で失敗艦とまで呼ばれていた加賀だが、昭和9年に空母としての近代化改装を受ける。加賀は、空母赤城と同じ第一航空戦隊に所属して、太平洋戦争前期には多くの武勲を上げる。しかし、日本が主力空母4隻を失ったミッドウェー海戦で米航空機の急降下爆撃に被弾して大爆発を起こして沈没した。

蒼龍右舷前方より

空母 蒼龍

昭和12年12月に竣工された日本海軍初の近代的空母である。その設計は終戦に至るまでの日本の中型空母の原型となっている。(飛龍、葛城、天城、雲龍)蒼龍は第二航空戦隊に所属し、太平洋戦争序盤の快進撃を支えたが、他の主力空母と同様に、ミッドウェー海戦で撃沈された。

飛龍右舷前方より

空母 飛龍

昭和14年7月竣工。基本設計は蒼龍に近い。艦橋の位置が蒼龍とは違って左舷にあるのが目立った違いである。蒼龍とともに第二航空戦隊に所属。連合艦隊が惨敗を喫したミッドウェー海戦でも、米空母一隻を撃破して、一矢報いて見せた武勇は有名である。

翔鶴右舷前方より

空母 翔鶴

昭和16年8月8日に竣工した大型空母である。第五航空戦隊に所属し常に瑞鶴とともに行動した。真珠湾攻撃・セイロン沖海戦・珊瑚海海戦、数多くの勝利を重ねた空母だが、大戦末期マリアナ沖海戦で米潜水艦から魚雷を受け沈没した。

瑞鶴右舷前方より

空母 瑞鶴

空母翔鶴型の二番艦。翔鶴と共に真珠湾攻撃・セイロン沖海戦・珊瑚海海戦、更に第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦・マリアナ沖海戦等に参加。その中で、瑞鶴はさしたる損害を受けることなく生き抜いた幸運な空母だが、レイテ沖海戦で米空母艦載機の攻撃を受けて沈没した。なお、瑞鶴は大戦後期には独特の対潜迷彩が施された。

大鳳右舷前方より

空母 大鳳

昭和19年3月に完成。飛行甲板に鉄鋼を用いて造られ、重装甲空母として期待された艦である。しかし実戦ではマリアナ沖海戦にて米潜水艦の雷撃を受けあっさり沈められてしまった。空母大鳳には木甲板説とラテックス甲板説で割れており、キットによって再現の仕方が異なる。当サイトの作品では木甲板説を再現している。

隼鷹右舷前方より

空母 隼鷹

客船「橿原丸」を改造して造られた空母だが、設計当初から空母として使用されることを想定していたため、完成度の高い空母となっている。昭和17年5月竣工。ミッドウェー海戦で制式空母六隻を失った後は、「隼鷹」「飛鷹」で第二航空戦隊を編成して戦い、輝かしい戦績を挙げている。

信濃右舷前方より

空母 信濃

空母信濃は元々戦艦大和型三番艦として建造されていた船を、空母に改装したものである。信濃は飛行甲板に95ミリ、水線帯に270ミリの装甲を持つ重装甲空母だった。昭和19年11月に就役したものの、横須賀から呉海軍工廠への移動中に米潜水艦の魚雷を受けて沈没させられてしまった。この時期の空母らしく、船体には対潜迷彩塗装が施されている。

葛城右舷前方より

空母 葛城

空母葛城を含む雲龍型は、空母飛龍の設計図を若干手直しして造られた中型空母。飛龍とは艦橋の位置が左右逆になっている。葛城は昭和19年10月に竣工、昭和20年7月に、呉港外で米空母艦載機の攻撃を受けて小破。戦後は復員輸送艦に転用された。雲龍型には全て対潜迷彩が施されている。

大鷹右舷前方より

空母 大鷹

日本郵船の客船・春日丸を昭和16年5月に海軍が徴用して空母としての改装したものだが、元が商船であるため速力が不十分で艦載機の発艦ができず、大戦中は飛行機輸送や船団護衛に従事したのみである。空母大鷹は、最後は米潜水艦の雷撃を受けて沈没した。

鳥海右舷前方より

重巡洋艦 鳥海

鳥海は高雄型重巡洋艦の4番艦である。昭和7年6月に三菱長崎造船所にて竣工。敵重巡洋艦4隻を葬った第一次ソロモン海戦では、先頭艦を務め大活躍している。昭和19年10月に、レイテ沖にて爆撃を受け航行不能となり、味方駆逐艦「藤波」により雷撃処分となる。

羽黒右舷前方より

重巡洋艦 羽黒

羽黒は昭和4年4月に竣工した妙高型重巡洋艦の4番艦である。珊瑚礁海戦、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などに参戦し、以降は輸送業務に従事していた。その後レイテ沖海戦にも参加。昭和20年5月に輸送任務の途中で英艦隊と交戦し、多数の直撃弾と魚雷を受けて沈没した。

古鷹右舷前方より

重巡洋艦 古鷹

古鷹は大正15年に就役。昭和12年に近代改装を受ける。第六艦隊を構成して水雷戦隊の主力として活躍した。重巡鳥海とともに第一次ソロモン海戦に参加し、目覚ましい活躍を見せている。昭和17年8月に、第一次ソロモン海戦からの帰途に米潜水艦の雷撃を受けて沈没した。

最上右舷前方より

航空巡洋艦 最上

最上型巡洋艦の1番艦である「最上」は、昭和10年7月に竣工、通常の重巡洋艦として南方作戦に参加した。ミッドウェー海戦以後に航空巡洋艦に改造されレイテ沖海戦に参加したが、米艦隊と戦い大破炎上してしまう。艦載機は零式水偵4機、零式水観3機を積載していたようである。

矢矧右舷前方より

軽巡洋艦 矢矧

昭和18年12月竣工。矢矧を含む軽巡阿賀野型は、水雷戦隊旗艦用に設計・建造された艦である。矢矧はマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦等に参戦。昭和20年4月に、沖縄特攻作戦で米空母艦載機の爆雷撃を受けて東シナ海で沈没した。

球磨右舷前方より

軽巡洋艦 球磨

天龍型軽巡の強化型として建造されたのが球磨型軽巡である。大正9年8月竣工。フィリピン侵攻作戦に参加し、その後はインドネシア・ニューギニア方面で輸送作戦に従事した。昭和19年1月に英潜水艦の雷撃を受けペナン島西方沖で沈没した。

五十鈴右舷前方より

軽巡洋艦 五十鈴

元は軽巡洋艦長良型の一隻だが、この五十鈴に限っては昭和18年に大破した後に、主砲を全て撤去して防空装備を充実させる大改修を受けている。南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦等に参加、レイテ沖海戦に生き残るなど大戦後期に活躍した。昭和20年4月に米潜水艦の雷撃により沈没。

天龍右舷前方より

軽巡洋艦 天龍

軽巡天龍型の一番艦として、大正8年11月に竣工した。第一水雷戦隊に所属し、シベリア出兵に参加する。昭和16年5月から第4艦隊に所属し、トラックへ進出。その後ウェーク島攻略作戦、第一次ソロモン作戦などに参加した。最期は米潜水艦の雷撃を受けニューギニア近辺で沈没した。

駆逐艦 朝潮

佐世保海軍工廠で昭和12年8月に竣工。朝潮型は条約破棄を前提に大型駆逐艦として設計された。太平洋戦争開戦時には第8駆逐隊に所属し、マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援。その他ミッドウェー海戦等、数々の戦いに参加している。昭和18年2月のビスマルク海海戦で味方艦の救助中に敵航空機の攻撃を受け沈没した。

睦月右舷前方より

駆逐艦 睦月

大正12年度艦艇補充計画で建造された。大正15年3月に竣工。太平洋戦争開戦時は第4艦隊第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属し、第1次、第2次ウェーク島攻略作戦に参加する。その後も各地の攻略作戦に参加している。昭和17年8月、ガナルカナル島攻撃の帰途に爆撃を受け沈没。

夕雲右舷前方より

駆逐艦 夕雲

昭和16年12月竣工。ミッドウェー海戦で初陣を迎えるも惨敗。第二次ソロモン海戦では空母の直衛を務める。その後、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦に参戦。第二次ベララベラ海戦で米艦隊との激戦の中、魚雷の命中を受けて沈没した。

春雨右舷前方より

駆逐艦 春雨

白露型駆逐艦の5番艦として、昭和12年に舞鶴工廠で竣工した。昭和16年にはヒガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリックパパン攻略作戦、スラバヤ沖海戦に参加。第三次ソロモン海戦にも参加した。その後、潜水艦による雷撃を受けて損傷し横須賀で修理を行い戦線復帰するも、渾作戦のさなかB-25の攻撃を受けて沈没した。

綾波右舷前方より

駆逐艦 綾波

昭和5年4月に竣工。太平洋戦争では第1艦隊第3水雷戦隊に所属して、数々の戦闘に参加している。第三次ソロモン海海戦では、単艦で米艦隊に挑み撃沈破3の戦果を挙げたことで有名な艦である。その戦闘の後、火災が積載していた魚雷に誘爆して沈没した。

秋月右舷前方より

駆逐艦 秋月

乙型一等駆逐艦の第104号艦として、昭和17年6月に舞鶴工廠にて竣工した。竣工後は空母瑞鶴を護衛してアリューシャン方面に出撃。その他主に護衛任務に就く。昭和18年1月には、秋月はトラックに進出し第十戦隊旗艦となる。以後、マリアナ沖海戦に参戦。レイテ沖海戦に参戦するも米海軍の攻撃を受け沈没した。

松右舷前方より

駆逐艦 松

昭和19年4月舞鶴工廠にて竣工。松型駆逐艦の1番艦である。松型は戦時量産型駆逐艦であり、日本軍最多の32隻建造されている。小笠原諸島方面への輸送作戦に従事する。硫黄島への輸送部隊にも参加する。

陽炎右舷前方より

駆逐艦 陽炎

陽炎型駆逐艦の1番艦。昭和14年11月竣工。太平洋戦争開戦時には第18駆逐隊に所属し、真珠湾攻撃にも参加した。昭和17年1月、ラバウル攻撃に従事。以後、2月には第2航空戦隊のポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦等、多くの海戦に参加している。

瑞穂右舷前方より

水上機母艦 瑞穂

水上機戦力の充実に力を注いだ日本海軍は、千歳型に続き準同型艦の瑞穂を建造した。水上機母艦の任務のほか、甲標的母艦変更、他艦への燃料補給など多目的艦の色合いを持っていた艦である。昭和17年5月に横須賀を出航し、柱島への回航途中に米潜水艦の攻撃を受けて沈没した。

伊1号右舷前方より

伊号第1潜水艦

伊号第1潜水艦は、当時世界最高だったドイツの潜水艦技術を取り入れて建造された。大正15年に竣工。

伊6号右舷前方より

伊号第6潜水艦

伊号第6潜水艦は、伊1型の改良型であり、艦後部に水上機の射出機1基を備える。昭和17年にはサラトガに魚雷攻撃を行い、その他に貨物船を撃沈したり輸送任務を行った。

ホーネット右舷前方より

USS Hornet CV-8

空母ホーネットCV-8は、ヨークタウン級航空母艦の3番艦。艦載機のB-25で、日本本土空襲を行った。(ドーリットル空襲)このことが後のミッドウェー海戦につながる。ミッドウェー海戦では、日本の重巡三隈を撃沈、最上を大破させている。昭和17年10月、南太平洋海戦にて沈没した。

サウスダコタ右舷前方より

BB-57 USS South Dakota

1942年3月にニューヨーク造船所にて就役した。サウスダコタは太平洋戦争の初期から終戦まで幾多の海戦を戦い抜いている。中でも第三次ソロモン海戦では、日本軍の戦艦霧島、重巡高雄、愛宕らから成る艦隊と砲撃戦を演じ、巡洋艦1隻を撃沈したとされている。

零戦52型斜め前方より

零式艦上戦闘機五二丙型

零式艦上戦闘機略してゼロ戦五二型は、太平洋戦争後期に日本海軍の主力戦闘機として大量実戦配備したプロペラ機。それより以前に大活躍した二一型に比べて火力と防弾性能に優れているものの、その重量増加分だけ速度性能は低下してしまっている。

零戦21型斜め前方より

零式艦上戦闘機二一型

太平洋戦争前期に空母艦載機として大活躍したゼロ戦は、実はこのグレー塗装の零式艦上戦闘機二一型のことである。その高い運動性能により、連合軍戦闘機との対戦において無類の強さを見せたという。動力には栄一二型エンジンを積む。

雷電21式斜め前方より

局地戦闘機雷電二一型

丸味を帯びた特徴的な機体の雷電は、陸上基地に配備され対爆撃機戦闘や迎撃戦闘を行うための戦闘機である。敵爆撃機の飛行高度は高く、雷電にはその空域まで短時間で到着する推進力が求められたという。米爆撃機B-29などの撃墜にも戦果を挙げている。

二式水戦斜め前方より

二式水上戦闘機

二式水戦とも呼ばれる。元になっている零式艦上戦闘機一一型に、海水による腐食対策を施して新造されたと言われる。二式水戦は水上戦闘機としては非凡な性能を持っていたものの、やはり敵戦闘機との正面対決には不利で、主に敵偵察機や爆撃機の迎撃に使用された。

疾風斜め前方より

四式戦闘機甲疾風

日本陸軍戦闘機疾風は、陸軍戦闘機として主力であった一式戦闘機隼(はやぶさ)などに遅れて大東亜戦争末期に開発された機体である。当時は米軍戦闘機の著しい性能向上により、零戦の時のような空戦での圧倒的勝利は見られなかったが、互角以上の戦いを見せたと言われる。

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